ヨガに教えられた、「自分の中に幸せを見つける」ということ
早朝ヨガをやってます。
最近は、週3回ぐらいのペースで朝6時からヨガをやってます。インドに来る前は、ヨガに対して、超胡散臭いイメージを持ってましたが、実際にやってみると、そのイメージは180度変わり、今では完全にヨガの虜になってます。
ヨガの何が、そんなにも僕を熱狂させているのかというと、「ヨガによって身体に顕著に良い変化が起きていること」、これに尽きます。特に、ヨガをやった日の眠りの深さといったら、今までに経験したことが無かったと言っても過言ではありません。
ヨガの思想から教わったこと。
ヨガの思想から教わったことについて、まずは結論からお伝えします。
幸せを外に求めず、ヨガによって真の幸せを自分自身の内側に見つけましょうという考え方であり、世界の平和は、世界を作る一人ひとりが自分の内側に平和を見つけることから始まるという考え方。
これを自分なりに解釈すると、こんな感じです。
まず、他人の幸せじゃなくて自分の幸せを追求しよう。だって、それをみんなが実践すれば、みんなが幸せになれるから。
他人の幸せを願って自分の幸せを犠牲にすることが美徳とされる世の中だけど、それによって、もし他人を幸せに出来なかったら、誰も幸せにならないし、それって誰得なんだっけ?
これは、他人の幸せについて全く考慮しない、という態度ではありません。自分を犠牲にしてまで他人の幸せを追求するのではなく、自分の幸せを追い求める延長線上において、他人に良い影響を与えられるように、全行動の源を他人の幸せ追求ではなく自分の幸せ追求にしようぜ、ということです。
自分にとっての幸せとは。
で、僕自身も「自分の幸せって何か」と考えてみましたが、行きついたのは「自分が大好きなことをして、それを通じて他人を喜ばせること」なんですよね。僕は、高校大学とずっとサッカーやってたんですが、自分が大好きなサッカーを通じて人々に感動を与えられた瞬間って、めちゃくちゃ幸せを感じてたのを覚えてます。
ただ、あくまで人々を感動させたいからサッカーをやってたわけではなく、サッカーが好きで好きでたまらなくてそれをやりこんでたら、あるタイミングで人々に感動を与えられたわけです。
でも、大人になるにつれて、いつの間にか、「自分の好きなことを本気でやってやろう」とは考えもしなくなっていた自分がいて、それよりも、まずは、「社会を良くしよう」とか他人を幸せにすることを先行させて生きていた気がします。
それが間違っていたとまでは思っていないのですが、サッカーをやっていた時みたいに、もっと自分が心底楽しいと思えることをやりこんでいた方が、より多くの人に勇気とか希望みたいなものが与えられたのかな、と思うわけです。
観る人を楽しませるには、僕自身がプレーを楽しまなくては。
by 往年のロナウジーニョ
そうです、ロナウジーニョの言う通りなのです。
だから、もちろん僕自身、そのような生き方をしていかなければならないと思っていますし、そして、その延長線上において、誰かに良い影響を与えることが出来ればと思っている次第であります。